英語史研究会第17回大会発表要旨



There + be + S + V 構文の推移について

家口美智子 (摂南大学准教授)

 OED で (1), (2) のような There + be + S + V という文型があると記述されている。
(1) But how he will come, and whither he goes, There’s never a scholar in England knows. (WorldSW. Address to Child 8, 1806)
(2) There’s a man at the door wants to see you. (Modern colloquial)
OEDではSとVの間に関係代名詞が省略されているというように説明されている。また現代英語ではこの構文は口語で、あるいはバラードのスタイルのように古式なスタイルとして使われるという説明もしている。本発表では存在文 (there + be) が頻繁に使われ始めた近代英語から現代英語に至る当該構文の使用頻度、スタイル、使用環境の歴史的推移について示す。主にはOEDに焦点をあてながら、同時に現代英語を収めた書き言葉・話し言葉のコーパスにおける当該構文についての分析を行う。



multiple negationの記述からみる18世紀文法の傾向

川部瑠衣子 (京都大学大学院修士課程)

 否定を強調するために、二つ以上の否定語を使って表すmultiple negationは、古英語・中英語においては頻繁に、半ば規則的に用いられたが、現代の標準英語においては非文法的とみなされている。この変化の要因の一つとしては、18世紀に大量出版された文法書の中で、否定と否定が肯定を表すという論理学の規則が適用されたことが挙げられる。
 18世紀の文法書は、用法語法に厳しい正誤判断を下し、言語の実情を無視したとして、従来その規範的な特徴ばかりが強調されてきた。しかし、multiple negationに関する記述を詳細に検討すると、規範性の強さのみならず、科学文法の萌芽を感じさせるものも多い。そこで、本発表では、multiple negationに関する各文法書の記述の比較分析を行い、18世紀文法における規範性と記述性について言及したい。



『パストン家書簡集』におけるwill[would]+名詞節

平山直樹 (広島修道大学非常勤講師)

 willをはじめとする法助動詞は、本動詞からその意味と文法機能を発達させ、現在に至っている。『パストン家書簡集』の中で使われるwillおよびwouldにおいては、名詞節や名詞を伴う本動詞用法と、原形不定詞を伴う助動詞用法の両方が確認される。特に遺書においては、名詞節を伴う本動詞用法が多く見られ、パストン家で最も多く手紙を残しているマーガレット・パストンの遺書においては、willの38例中28例が名詞節を伴っている。
 本発表では、4世代にわたり家族をはじめ様々な社会的地位の人々に手紙を送っているパストン家の人々が用いた、名詞節を伴うwillおよびwouldに着目し、それらの用法を明らかにすることを目的とする。その際まず、主語の人称や動詞の種類などに着目し、どのような文法的環境においてwill[would]+名詞節が出現するのかを明らかにする。次に、送り手・受け手の世代、性別、人間関係、手紙の内容などに着目し、社会的な要素によってwill[would]+名詞節の用法がどのように異なるのかを考察する。



中英語頭韻詩における “Tags”――Oakdenの7類型の見直しと連語類型による再分析

守屋靖代 (国際基督教大学教授)

 Oakden (1930, 1935) は中英語頭韻詩研究において重要な先行研究のひとつであるが、そのPart IVは、“tags”という名称を用いて中英語頭韻詩に繰り返し登場する似通った表現や同一の文法構造について考察している。“No legitimate [excuse] can be adduced to explain the use of these unnecessary tags.”と否定的に解釈しながらも、多数の用例を用い7つの類型を提示している。
 この発表ではまずOakdenの7つの類型の見直しを試み、例の偏り等問題点を指摘する。次に、特定の語句に注目するOakdenに対し、後半行で繰り返し用いられる似通った表現について語彙や語順によってテンプレートを解明しようとする Turville-Petre, Hartle, Schaefer 等の研究を紹介する。その上で、全く同一句の繰り返しではないが繰り返し用いられる collocation patterns が中英語頭韻詩の重要な技法のひとつであり、ある程度決まった語群によって行末が統一されていることを明らかにする。
 以上の分析を通して、後半行の語句の並べ方には、品詞と連語において一定の法則があり、Oakdenが気づいて“tags”と称してその法則を見いだそうとした中英語頭韻詩の技法は、既成の同一語句の繰り返しではなく、Lawrenceの提唱するgrammetrical units の繰り返しであることが分かる。



Beowulf に見られる自然――人間とのかかわりという視点から

浅香佳子 (大阪国際大学教授)

 Hugh WhiteはNature and Salvation in Piers Plowman (1988) のなかで、Langland は Kynde(Nature) を「神」の同義語として用いていると述べているが、確かに、「わたし」Willの質問に答えて、Wit は “Kynde‥þat is þe grete God” (B.IX. 26-28, Schmidt, 1995) と答えている。Shakespeare は King Lear のなかで Edmund に、 “Thou, nature, art my goddess” (Act 1 Scene 2,l.1) と言わしめている。 Chaucer や Shakespeare のラテンの Nature/nature が “Goddess/goddess” で、She/she で受けられているのに対し、Kynde は “God” であり、Schmidt はそれを受けるのに He という大文字の男性人称代名詞を用いている。he/she の違いはあるにせよ、Langland と Shakespeare の Kynde と nature のいずれもが、人間を含む万象万物の種の存続を保護して育む、慈愛に満ちた「神」「自然」である。
 翻って Beowulf に目を転じれば、nature や kynde が「自然」や「神」を表わさずに、「神」には god が用いられていて ("mihtig god", l. 1725, Michell, 1998)、それを表わす人称代名詞には he が用いられている。ラテンの世界とは全く違い、作品から伝わってくる自然界は、「人間の敵」「人間に敵意のある自然」に他ならない。Jennifer Neville が Representations of the Natural World in Old English Poetry (1999) のなかで、デネの社会を脅かす怪物グレンデルとその母親を自然の一部だと述べているように、自然界は妖怪悪鬼の棲み処のごとき‘wynleas wudu’(l.1416)や‘wulfhleoþu’(l.1358) である。この違いの理由の1つとして、アングロ・サクソン時代には、ラテンの書き物の影響が Piers Plowman の時代より少なかったことが挙げられるであろう。それでも当時、St. Augustine の影響はかなり広範囲に浸透していたし、またBedeの影響の大きさも見逃すことはできないであろう。
 本発表では、Augustine や Bede の影響を考え、Beowulf における negative な「自然界」の表現を、人間やその社会とのかかわりという観点から分析を試みたい。当然のことながら、詩における「自然界」の表現と、現実の自然界との間にギャップがあると思われる。発表者は「考古学」の専門家ではないが、出来れば、アングロ・サクソン時代の考古学的な研究成果も反映させた発表にしたい。


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