英語史研究会会報 第2号

 

 

1999年12月15日

 

      事務局

      810-8560 福岡市中央区六本松4−2−1

      九州大学言語文化部 田島研究室 

      電話&FAX 092-726-4656(直通)

      E-mail: tajima@rc.kyushu-u.ac.jp

      発行人 田 島 松 二

 

目 次

   英語史研究のすすめ ----------------------------------  小野 茂
   研究ノート 
            下笠徳次・竹田津進・壬生正博・許斐慧二
   書評  P. Hartle, Hunting the Letter ---------------  鎌田幸雄
   はがき通信
               大野次征・笠井勝子・小松義隆・末松信子
            田島松二・西出公之・宮原一成・村田和穂
   第2回大会報告 ---------------------------------------- 末松信子
   第2回大会研究発表要旨
               浦田和幸・許斐慧二・壬生正博・野仲響子・飯田一郎
   会員消息新入会員事務局から編集後記

 

英語史研究のすすめ

小 野 茂(昭和女子大学)

 私が英語の歴史に興味を持ち始めてから半世紀になります。私の学生時代には古英語や中英語を学ぶことから始めて、作品から例を集めて歴史的な研究をするのが普通のことでした。しかし卒業後間もなくアメリカ言語学の影響が強くなり始めて、日本の英語学者の多くが新しい学問の吸収と普及に力を注ぎ、それについて行かない者は 時代遅れだ、そればかりか怠慢であるとまで言われ、フィロロジカルな研究はその勢いに気圧されそうになりました。フィロロジーは、文学の方からは語学として無縁なものと見なされ、新しい理論的な言語学の方々からは過去のものとして捨て去られそうになりました。私の先生や先輩達にも動揺が窺われ、そのような方々の影響下にあって、自分自身の方向に確信を抱くようになるまでは、新しい言語学に馴染めない私などは随分悩んだものです。もともとテクストを丁寧に読むことから言葉への興味を抱き、作品の言葉を理解するためには、謙虚な態度で近付いて行くべきで、理論によって料理すべきではない、そのような態度は近代人の驕りだと考えていたので、私は理論的研究に違和感を持ちました。また言語の芸術である文学作品の理解は言語の知識なくしては得られないので、語学と文学は切り離すべきではなく、そういう研究態度がフィロロジーだと思っていました。

 フィロロジーは古い時代の言語を研究する古い学問だと思われがちですが、歴史学が古代から始まって現代に至るように、英語史研究が古英語から現代英語までを含むのは当然のことです。そして文学作品のみならず現存のすべての英語を対象として、上に述べたようなフィロロジカルな態度で研究するのが英語史研究の本来のあり方であり、それが英語学の中心をなすものだと思います。いわゆる新しい理論的な言語学が盛んになり、それが英語史研究にも及んできました。それにもかかわらず、たとえ世に容れられないでも、自分の信ずる道を歩もうと思い、今日まで歩み続けてきたつもりです。私を理解し支えて下さった方々のお蔭で、それができたことは私の大きな喜びであり、今後もそれを続けることが何よりの楽しみです。

 今春、田島松二教授のご努力によって英語史研究会が発足しましたが、その趣旨が私の考えと一致しているので、大変心強く思っています。その趣旨に賛同する若い方々がおられることは英語史研究の将来にとって嬉しいことです。会報第1号を読みながら、自分の若い頃を思い出し、皆様のご参考になればと思って書き記しましたが、当時を思うと、田島教授のような確固たる信念を持った熱心な指導者のもとで、研究会に参加できる今の若い方々が羨ましくなります。この英語史研究会が順調に成長し発展することを祈っています。

(1999年11月28日)

小野 茂(おの・しげる)教授略歴

 1930年東京生まれ。1953年東京大学英文学科卒。1969-70年ペンシルヴェニア大学留学。1971年文学博士(東京大学)。東京都立大学名誉教授・昭和女子大学教授。国際アングロサクソン学会(ISAS)名誉会員。

 主要著訳書:『英語慣用句小辞典』(共著、研究社)、『英語法助動詞の発達』(研究社)、『英語学体系8 英語史I』(共著、大修館)、『フィロロジーへの道』(研究社)、『英語史の諸問題』(南雲堂)、On Early English Syntax and Vocabulary(南雲堂)、『英語史研究室』(南雲堂)、『フィロロジーの愉しみ』(南雲堂)、コツィオル『英語史入門』(南雲堂)、ブルンナー『英語発達史』(共訳、大修館)、ノールズ『文化史的にみた英語史』(共訳、開文社)など

 

<研 究 ノ ー ト>

ルイス・キャロルと脚韻

下 笠 徳 次(山口県立大学)

 キャロルは詩作にも強い関心をもち、数多くの詩を残している。2つの『アリス物語』のなかにも随所に詩が挿入されていて、散文と韻文が一体となって物語の進行がスムーズになり、読者の関心を惹きつけて離さない。ことばに異常なまでの執着心をもつキャロルのこと、詩作の数々の技法は当然心得ていたと推測できる。頭韻効果も随所に窺えるが、小論ではとくに行末に注目し、キャロルの脚韻の工夫の見事さを考えてみたい。

 キャロルはさまざまな脚韻構成を実験しているが、最も一般的なのは1行おきに脚韻語を配置するものである(例:afternoon / glide / skill / plied / pretense /guide)。3行連詩ですべての行に脚韻語をもってくる場合(例:near / ear / hear)もある。とくにキャロルはdream / gleam / stream という3重の押韻は好きだったと思われる。奇数行と偶数行に規則正しくもってくる場合(例:trees / pass / breeze / grass)もあれば、弱強四部格では2行連句で次々と押韻させている(例:white / delight / green / mean / long / song)。in it / minute, suet / do it といった、1語と2語を押韻させる技法も心得ている。was / because, stiff / if, shut / but などに見られるように押韻する語との関係で接続詞で止めるという思い切ったこともする。

 Across the sea to Calais / Laura will dream of Alice では前者がフランスの地名なので非英語圏の人は想像力を働かせないと押韻していることが分からないかも知れない。sky /dreamily / July, wood / mood, good / wood /blood などに見られる、綴りの上での一致による視覚韻も多用する。pray / to-day / gratia においては最後のgratiaはラテン語であり、理論的には不完全韻になってしまうので、ここでは英語化したラテン語として/ gra-tee-ay / と発音すれば押韻が成立する。Oporta / shorter / mortar は詩的許容内にはいる押韻である。two p (ennyworth) / Soup などは苦し紛れの操作であるが、形式を重んじるために1語を敢えて行またがりの形で2行に分けるところはキャロルの面目躍如たるところである:

     Beautiful Soup! Who cares for fish,
     Game, or any other dish?
     Who would not give all else for two p
        ennyworth only of Beautiful Soup?

最高に手の込んだ押韻は

     Novelty was in its favour
        And mellifluous its lays,
     All, with eager plaudits, gave a
        Vote of honour in its praise.

であろう。不定冠詞で行末を終えることは許されないが、/エィヴァ/ という押韻を完成させるためには仕方ないことである。ことば遊びを心ゆくまで楽しんだキャロルの一面がここでも見てとれる。キャロルは散文ばかりか、韻文にも優れた才能を発揮した。我々読者はキャロルの詩も十分に堪能したいものである。彼の詩には夢やファンタジー、それに想像力、優しさ、その他多くの感情に訴える特質が満ち溢れているように思われる。

 

Gawain-poetはなぜskinという語を使わなかったのか?

竹 田 津 進(長崎県立大学)

 Sir Gawain and the Green Knight (SGGK) を読んでいると、「皮膚・皮・毛皮」を意味する言葉として hidefell が使われ、skin は使われていないことに気付く。Fit IVで、約束の一年後、return blowを甘んじて受けにGreen Knightの館へ赴いたSir Gawainが、うなじに斧の一撃を受ける場面がある。以下のその箇所でも skin ではなく hide が使われている(括弧内はBarronの現代語訳)。

     *#a*& he homered heterly, hurt hym no more
     Bot snyrt hym on at on syde, at seuerd *#e hyde. (2311-12)
     (Though he had struck fiercely, he did him no more
     injury than to graze him on one side, just breaking the skin.)

                      [イタリック体筆者]

コンコーダンス を使って調べてみると、Gawain-poetの作品中には、skin はまったく使われてはおらず、hide 4例 fell 5例があるのみである。

 SGGK の書かれたイングランド北西部はデーン人の影響色濃く、Gawain-poetの語彙も古ノルド語起源の語が日常的なものから特殊なものまで幅広く含まれている。とすると、典型的なスカンジナヴィア起源のsk- で始まる skinGawain-poet の使用語彙の中にあってもよさそうである。実際 skill, skirt などのsk- 語は何度も使われているのだから。なぜGawain-poetは skin を使わなかったのだろうか。同時代の詩人Chaucer、Gower、Langlandと比べるとどうであろうか。同様にコンコーダンスで調査すると、Chaucerには skin 16例 fell 1例、Gowerは skin 7例 fell 2例 hide 1例、Langlandでは skin 1例 fell 1例が見つかる。skin はChaucer、Gowerの脚韻詩で多くあらわれており、頭韻詩ではLanglandの1例のみということになるから、頭韻の制約を受けたのではないかということがまず第一に考えられる。また、Chaucerの英語は近代英語の源流であり、Gawain-poetは古英語の伝統を引いていると言われるように、Gawain-poetには古い言葉へのこだわりがあったのかもしれない。 'making a mountain out of a molehill' の感がないでもないが、ちょっと気になるのでしばらくGawain-poetと関わってみたいと思っている。

(*#、*#はそれぞれthornの小文字体と大文字体、*&はghの異字体の代用である:ホームページ管理者)

 

Owayne Miles(OM1) のパラダイス描写における "red gold" の語義について

壬 生 正 博(福井高専)

 St. Patrick's Purgatory (ed. Robert Easting, EETS 298, Oxford: Oxford UP,1991) に収録されたAuchinleck Version of Owayne Miles (OM1) に関し、パラダイス描写に使用される鉱物の中で最も使用頻度の高いのは 'gold' であるが、これに関連して、パラダイスの門に 'red gold' (129:6, 130:5) が施されているという記述がある。Eastingはこの語句に対し 'gold alloyed with copper'という語義をGlossaryに挙げているが、このような合金・混ぜ物では、パラダイスの純然たるイメージを著しく損なう感がある。恐らく彼は、OEDの語義をそのまま採択したと思われるが、果たしてこの語義は本文のコンテクストに相応しいと言えるだろうか。H. R. Patch (1950) やAlison Morgan (1990) の種々の引用・作品概要を参照すると、楽園の門の純なるイメージを想起させる鉱物として 'diamond' や 'pearls' を使用した例はあるが、合金が使用された例は伝統的には見あたらない。しかし、本作品の 'O red gold it (= the gate) schon al' (129:6) という箇所に着目すると、この文が門の輝きに言及している点では伝統の継承性が確認できる。従って、本作品における 'red gold' は、絢爛たる門の美麗さ・高貴さを読者に印象づけるための素材と見なすべきである。この視点に立ち、MEDに目を転ずると、'gold' 1. (C) の 'red gold' の成句に 'gold with a small alloy of copper to enhance its color'(下線部筆者)という語義が記載されている。上記のことを考慮すれば、このMEDの語義の方がOEDの語義より文脈上適切である。そうすれば 'red gold' がたとえ合金であるにせよパラダイスの光輝さが一段と強調され異界性を増す表現となる。 Eastingは、このMEDの語義を採択すべきだったのではあるまいか。

 

漱石が熊本を去った日

許 斐 慧 二(九州工業大学)

 松山尋常中学校を辞した夏目漱石が第五高等学校の英語教員として熊本にやって来た日が明治29年4月13日であったことは既に判明している。一方、英国留学のために熊本を発ったのが明治33年の7月であったことは分かっているものの、それが正確に7月の何日であったかまでは明らかにされていない。江藤淳氏は『漱石とその時代』(新潮社)において、7月20日頃のことであるとし、荒正人氏は『漱石研究年表』(集英社)において、7月18日あるいは19日のことであるとしているが、いずれも確たる資料的な裏付けがあるわけではない。恐らくは「熊本から帰京する道すがら、それは七月でしたが、ちょうど大洪水のあった後で、至るところで汽車が不通になっていて、歩いて連絡したことを覚えております」という『漱石の思い出』(岩波書店)における漱石夫人鏡子の回想と7月16日に熊本で大洪水があったという事実とから推測した結果に過ぎない。

 もうだいぶ前のことになるが、筆者は前任校(熊本女子大学・現熊本県立大学)の主催する公開講座で熊本時代の漱石について話をする機会を得た。その折に、熊本で漱石と交渉のあった人々の資料を調べなおしてみたところ、漱石の離熊の日が記された手紙が存在することに気づいた。差出人は池松常雄、受取人は白仁(しらに)三郎、日付は明治33年7月18日(消印の日付は7月20日)となっている。

 池松常雄は明治8年10月熊本に生まれ、俳人で迂巷と号す。明治31年10月に第五高等学校の生徒有志が漱石を盟主に戴いて結成した新派俳句の結社紫溟吟社の活動が低迷していた時に学外からこれに加わって、その再興を図り、以後その中心となって活躍した。一方、受取人の白仁三郎はのちの坂元雪鳥、能楽批評家として一家を成す人物である。明治12年4月福岡縣柳河に生まれ、第五高等学校時代に漱石の俳句門下に入り、紫溟吟社の結成に参加する。明治40年の東京朝日による漱石招聘に際して、東京朝日側の使者として予備交渉にあたったことでも知られる。

 白仁が池松の手紙を受け取ったのは、前月に第五高等学校を卒業して帰郷していた柳河においてであった。この手紙の中で、池松は、白仁からもらった手紙に対して礼を述べ、句作が捗らないこと、九州新聞(九州日日新聞)が俳句を掲載してくれないこと、熊本を襲った百余年来の大洪水の被害状況などを報じたあとに「漱石氏も愈ヽ去る十五日午後二時の上りにて出発致され申候池田まで参り申候」と書いている。文中の池田は池田停車場、現在の上熊本駅である。

 このように離熊する漱石を自ら池田停車場まで見送った池松本人が漱石は15日に出発したと書いている以上、それを疑ってかかる必要はないけれども、それが上記の鏡子夫人の思い出話と矛盾しないかどうかくらいは検討しておくべきであろう。

 16日の洪水が未曾有のものであったために、どうしても鏡子夫人の言う大洪水をそれと結び付けて考えやすい。しかし、実はこの年7月に熊本地方で洪水があったのは16日だけではない。当時の『福岡日日新聞』や『九州日日新聞』によれば7月10日から12日にかけて降った雨でも大水が出て、九州鉄道の高瀬・木葉間、植木・池田間などで線路が崩壊し不通となっている。だが、それも14日か15日にはある程度復旧し運転を開始したようである。恐らく、鏡子夫人のいう大洪水はこの時のものを指しているのであろう。「百年来絶無の大洪水」と呼ばれた16日の出水を引き起こすことになる雨が大いに勢いを増すのが15日の午後3時のことであるから、漱石一家にとってはまさに間一髪の出立であったといえる。

 

<書  評>

Paul Hartle, Hunting the Letter: Middle English Alliterative Verse and the Formulaic Theory. (Munster Monographs on English Literature, 21.) Frankfurt am Main: Peter Lang, 1999, 466 pp. [ISBN 3-631-33776-0]

鎌 田 幸 雄(仙台大学)

 書名から想像されるような理論中心的な著作ではなく、これまで周辺的な作品として比較的扱われることが少なかったJoseph of Arimathie, Death and Liffe, Saint Erkenwald, Scotish Feildeの4作品を中心に据えた極めて実証的な労作である。著者はDuggan and Turville-PetreによるThe Wars of Alexanderの校訂版の書評において、彼らの校訂方法にかなり懐疑的な意見を表明していたが、本書は著者自身の方法論を具体的に示している点においても興味深い。

 本書は大きく分けて本論 (pp. 11-81) と付録 (pp. 83-413) の二部構成になっている。本論はさらにPart 1とPart 2に分かれ、Part 1ではFormulaic TheoryのME頭韻詩への適用の概観とその有効性を示し、著者自身の立場を明らかにしている。Part 2ではPart 1の議論を前提とし上記4作品を順に分析・検討し、著者自身による調査結果に基づく新たな知見を提示している。付録の部分はAppendix 1: Analyses of Collocations (pp. 83-353) とAppendix 2: Metrical Analyses (pp. 355-413) からなっている。

 本論についてもう少し詳しく見ていくことにしたい。著者はまず口承定型句理論の発展と適用を概観する。そして口承詩から書記詩へと移行する過渡的時期としての中世英国の重要性を強調し、中世英国での「過渡的テキスト」の存在を肯定的に論じている。また、定型詩を3つのタイプに区別する。第1に文字の導入以前の定型表現に依存する「口承文体」、第2に文字を導入したが利用可能な詩的表現形式が定型表現のみであるために定型句を使用する「過渡的文体」、そして第3に利用可能な詩的表現形式の一つとして便宜的にあるいはある効果をねらって定型句を使用する文体である。著者はOE詩を第2のタイプとし、ME頭韻詩を第3のタイプとしている。また、OE詩とME頭韻詩の口承伝統による連続性の問題に関しては、まったく否定的であり、ME頭韻詩は新しい詩人達が、口承詩の伝統の中で発達した表現も含め、利用できるあらゆるものを取り入れて洗練させていったとする立場である。定型句 (formula) の定義の問題に関して、それを規範的・規則的に考えることの弊害を指摘し、定型詩における詩人の創造性を分析する余地を残す柔軟な解釈を促している。そして定型句における韻律や統語構造の重要性は認めつつも、その本質は使用される語彙にあるとし、ある表現が定型句か否かを判断する基準は語彙的反復 (lexical repetition) や習慣的連語関係 (habitual collocation) にあるとする。またTurville-Petre (1977:50-1) によるME頭韻詩の段階的発展説を取らず、個々の詩人の「技量 (skill)」の問題を強調する。そして豊富な語彙を使用している作品は優れた技量を持つ詩人の作品であることを示す指標の一つであるとし、不規則な頭韻や頭韻語彙の不足等を個々の詩人の学習不足・技量不足であるとしている。このような立場から上記4作品の習慣的連語関係を徹底的に調査し、それら4作品の頭韻伝統の中での位置付けを試みている。

 本書の中核をなすのはその分量から見ても、上記4作品に生起するcollocationを作品毎にアルファベット順に整理したAppendix 1の部分である。著者はそれらのcollocationがhabitualであるか否かを確認するために、Oakden (1930, 1935) 等の先行研究を参照しつつ、他の頭韻詩の作品はもちろん、脚韻ロマンスの諸作品、抒情詩、Chaucerの作品、中世演劇の諸作品等を、既存のコンコーダンスを利用しながら、比較的広範囲に調査し、その判断材料にしている。またAppendix 2では上記4作品の全行について韻律分析を行っている。著者の立場は、authorialとscribalの区別を設けるDugganの立場とは異なり、写本に生起した語句を忠実に分析するconservativeなものである。その立場には異論もあろうが、今後の研究にとって必要不可欠な基礎的分析として後進の研究者に歓迎されることであろう。

 著者の調査に基づく新たな知見をいくつか示してみよう。Joseph of Arimathieの韻律の不規則性や頭韻語彙の不足は、この作品が推敲を経る前の草稿とする説 (Lawton) もあるが、通常まだ韻律や語彙の確立していない頭韻詩復興期初期の作品であることがその主たる原因とされていた。著者はその徹底的な語彙調査から、詩人の技量不足、特に頭韻語彙の学習不足をその主たる原因として強調している。Death and Liffeは、現存する写本の年代が17世紀中頃と非常に遅い時期であるため、制作年代に関する意見が様々であったが、著者はその調査結果から、14世紀末から15世紀初頭と結論づけている。また、Saint ErkenwaldGawain-Poemsとの同一作家説については、その調査結果から両者の直接的な関係を示唆する結論を得て、憶測の域を出ないことは認めつつ、この詩がGawain-Poetの師匠にあたる詩人の作品ではないかと推測している。Scotish Feildeに関しては、詩人が頭韻詩の伝統的collocationに関するかなりの知識を有していることを認めつつも、その機能に関して十分理解していない面があることを具体的に指摘している。

 本書がGawainPiers Plowmanの陰に隠れてきた周辺的な4作品を中心に据え、その連語関係を徹底的に調査し、頭韻伝統の中にその4作品を語彙的側面から位置付けたことは、今後のME頭韻詩研究を深める上で示唆するところが多く、その意義は大きいといえる。上記4作品の表現形式に関心のある者はもちろん、ME頭韻詩やME期における頭韻伝統に関心のある者には、今後必須の参考文献になることは間違いないであろう。またME期のcollocationに関心のある者にも示唆を与えるところ大であると思われる。Index of Collocationや約30ページにわたるBibliographyを付したことは本書の利用価値を高めている。

 著者の立場や見解については異論・疑問の余地が無い訳ではない。例えば、Fry (1967)のformulaの定義を 'self-consuming' と批判しているが (p. 17)、Fryのformulaic systemの定義にはまったく触れていないこと。ME頭韻詩のformulaic themeの存在を完全に否定 (p. 68, note 114)していること。著者のhabitual collocationの考え方では後半行に生起するformulaを十分に記述できないこと。 Appendix 1の分析の中にはcollocationが生起する詩行上の位置を十分考慮していない場合がしばしばあること。著者の分析では写本に生起した語句が結果的には詩人の使用した語句と解釈され、写字生と詩人の区別をつけることが困難であること、等が挙げられよう。このような異論や疑問の余地はあるものの、著者がある一貫した立場から広範囲な調査を行い、多くの新たな知見を提示し、 ME頭韻詩研究の一つの方向性を示したことは高く評価されるべきであり、また後進の研究者に有益な資料を提供してくれたことも十分評価されるべきであろう。

 多少の難点を言えば、iをlないしIに誤植している例が目立つ。また印刷上の経費の問題なのであろうか、*# , *# の代わりにそれぞれb, Dを使用しているが、読みづらさは否めない。改訂の際に再考を望みたい。(*#、*#はそれぞれthornの小文字体と大文字体の代用:ホームページ管理者)

引用文献

Fry, D. K. (1967) "Old English Formulas and Systems," English Studies 48:193-204.

Hartle, Paul (1991) "Review of H. N. Duggan and T. Turville-Petre eds. The Wars of Alexander," Medium AEevum 60:111-12.

Lawton, D. A. ed. (1983) Joseph of Arimathea. New York.

Oakden, J. P. (1930-35) Alliterative Poetry in Middle English. Manchester.

Turville-Petre, Thorlac (1977) The Alliterative Revival. Cambridge.

 

<は が き 通 信>

大 野 次 征(宇部高専)

 田島先生より『英語史研究会』入会のお誘いを受け、研究会に参加するようになったが、発表件数4、5件で、質疑などを含め一人1時間ほどの贅沢な会はなかなか楽しい。勿論、啓発と教示と感嘆とが会員の胸中に交錯するのは言うまでもない。後の懇親会も又良い。20名ほどだから私のような人見知りの人間でも全員と知り合いになれる。大きな学会での他人行儀でそそくさと帰途に就く空しさの残るものと違うのも良い。

 山口県立大学の下笠先生と2人で勉強会を始めて5、6年。初年は先生専門のチョーサーの手ほどきを受け『薔薇物語』を2,000行程読み、次にシェークスピアのソネットを1,000行、次に古英語ベーオウルフを1,000行読み、最後に古ノルド語(E. V. Gordon, ed., An Introduction to Old Norse [Clarendon Press, 1956])を500行の所に来ている。ある意味では英語史研究の実際を2人で駆け足で読み何とか帳じりを合わせたのかなと思ったりしている。個人的には毎年1回学会発表を心がけている。1年間ぼそぼそと読んできたものを最後にまとめるのだが、分からない事だらけであるからテーマは無数に出てくる。今年はAelfric's Lives of Saintsの1巻4,400行までの再帰代名詞についてまとめ、大分大学での日本英文学会九州支部大会で発表したが、この説教集は散文調で実に読み易い。ベーオウルフのように頭韻、詩脚、ケニングの他、数行先の外位置の乱発などないからである。読み物としても楽しい。乙女アグネスが身の潔白を示す為に男(実は父親)の前で胸を露にする場面などエロチシズム溢れる恋愛小説である。ともあれ、古英語時代のキリストに対する純粋な思慕と殉教思想の清新さは古英語の勉強をしていてよかったと浅学の身ながら感じる。

 

笠 井 勝 子(文教大学女子短期大学部)

 私は、山口県立大学の下笠先生からお知らせいただいて、会員になりました。下笠先生には、日本ルイス・キャロル協会を通じてご好誼いただいております。共通項は英語史よりもルイス・キャロルの方ですが、英語史でも『不思議の国のアリス』の読者が大勢おいでのことと思います。なにしろ、This is the driest story と折り紙付きで「ねずみ」が紹介をする話が、1066年のできごとでした。なんだ、そんなこと、と気にとめないで読み過ごしますが、「ねずみ」が立て板に水のごとく話すできごとは、多分、当時の家庭教師たちがschool room でこどもたちに話していた歴史でしょう。あるいはまた、パブリック・スクールへ入っている2、3才年上のお兄ちゃまが休暇で家に戻ってきた時に、得意気に教科書を暗唱して聞かせ、その周りで弟、妹たちはぽかんと口を開けて訳の分からない話を聞いていたことでしょう。その図が、『不思議の国のアリス』の場面から目の前に広がってまいります。

 学生時代には世界史か、英国史か、英語史かで出会うエドワード懺悔王とエドゥイン、ウィリアム征服王の物語が、英国の人々には、ずっと小さい頃から聞かされた話らしいことが、この場面から窺えます。その少し先の方には、フランス語起源の長く気取った語彙遣いをさして、Speak English! とやりこめていますが、それも1066年以後300年近く続いたフランス語の支配とその後庶民の英語が勢力を立て直してきたことを、暗示しているのでしょう。

 『不思議の国』を、英語史のご専門の先生方がどのようにお読みになっておられるでしょうか。英語史の中で『アリス』を、また『アリス』の中に英語史を読む試みがあれば、お教えください。

 

小 松 義 隆(九大大学院修士課程)

 今回初めて英語史研究会第二回大会に参加させていただきました。私にとって公的な研究発表会出席は初めての経験でしたので、論文の書き方、発表の形式、そして論の展開の仕方など多くの先生方の発表を拝聴し、大変勉強になりました。と同時に発表会、そしてその後の懇親会で自身の英語史についての見識の狭さ、知識の乏しさを痛感し、益々持って勉学に勤しまなければと感じました。とにかく自分にとってはすべてが新鮮な経験で、同会に参加させて頂けたことを心より感謝致します。

 

末 松 信 子(九大大学院)

 学部(文学部言語学科)、大学院(比較社会文化研究科)と通算9年近くも九大に通い続けてまいりましたが、それも来春3月で終わりになりそうです。大学院入学以来、田島先生のもとで、英語史や社会言語学を勉強してまいりましたが、とりわけテキストをていねいに読むことの大切さを教わりました。目下はJane Austenを中心に、18、19世紀の統語法を英語史的観点から記述する作業を続けております。英語史や実証的研究のおもしろさがようやくわかりかけてきたところです。

 

田 島 松 二(九大)

 96年の創刊以来、単独で編集・発行しておりますThe Kyushu Review 第4号を本年10月に刊行しました。紀要類とはひと味ちがった英語英文学の研究誌を目指したものです。年1回10月刊で発行部数は200部あまり、そのほとんどは個人宛寄贈しております。ひとりでも多くの方に読んでもらいたいからです。(図書館宛送っても死蔵されるか、廃棄されるのが落ちですから。)「英語史研究会」とは直接関係ありませんが、今号には許斐慧二、浦田和幸、竹田津進、飯田一郎、末松信子、大和高行会員の論文、書評も掲載されております。残部が少々あります。ご関心のある方はお申し出くださればお送り致します。

 

西 出 公 之(都留文科大学)

 David CrystalのThe Cambridge Encyclopedia of the English Language (1995) のPart Iを英語史のテキストとすべく、編注で苦労しております。成美堂より、年内に刊行の予定です。

 

宮 原 一 成(山口大学)

 田島先生からのお誘いを受けて、本研究会の末席に参加しております。専門は現代イギリス文学、特にジェイムズ・ジョイス、ウィリアム・ゴールディングといった、言葉に対する感覚が鮮鋭な作家に興味があります。今はゴールディングの作品を集中的に読んでいるのですが、この小説家は大学時代の専攻がアングロサクソン文学だったせいか、現代の意味用法から少し外れているような独特の言葉づかいをすることがあり、それがまた作品に独特の深みを加えていたりします。こういうところを読むときには、英語史的な目配りが役立ってくれることが少なくありません。英語史研究会会員の方々の研究成果に触れ、多くを吸収していきたいと思っております。

 

村 田 和 穂(有明高専)

 伊藤弘之熊本大学名誉教授を中心に、熊本大学出身の他6名と18世紀の散文を代表するTobias Smollet (1721-71) のThe Adventures of Roderick Random (1748) を翻訳し、スモレット著『ロデリック・ランダムの冒険』として荒竹出版より本年12月刊行予定です。

 

<第2回大会報告>

末 松 信 子(九大大学院)

 英語史研究会第2回大会は1999年9月25日午後1時より5時半まで、福岡市の九大・六本松キャンパスで開催されました。あいにくの台風と新幹線の事故で出席できなかった方が数名おられましたが、遠くは仙台、東京からの出席者を含め21名にのぼりました。総会では関東・東北地方の運営委員として浦田和幸氏を選出し、会報の充実を含む今後の活動方針等が承認された後、以下の研究発表が行われました。

 浦田和幸「英語史と語法研究:The New Fowler's Modern English Usageをめぐって」、許斐慧ニ「'seem (to be) NP' 構文における 'to be' 出没の歴史」(以上、司会 田島松二)、壬生正博「St. Patrick's Purgatoryにおける異界要素について」(司会 隈元貞広)、野仲響子「19世紀アメリカ英語における 'A long letter was sent him' 型構文」、飯田一郎「英語におけるフランス語借用語の現代仏語への回帰について」(以上、司会 下笠徳次)。

 いずれも、実証的データに基づく研究発表であり、活発な質疑応答が行われ、有意義な研究会となりました。発表会終了後、同会場にて懇親会が開かれ、歓談のうちに親睦を深めることができました。研究会出席者(五十音順)は飯田一郎、浦田和幸、大野次征、鎌田幸雄、隈元貞広、許斐慧ニ、小松義隆、島村雅子、下笠徳次、末松信子、添田裕、竹田津進、田島松二、田中俊也、西山公樹(非会員)、野仲響子、東真千子、松元浩一、壬生正博、宮原一成、村田和穂の計21名でした。

 次回は3月25日(土)に上記会場で開催予定です。なお、第2回大会に関する報告記事は『英語青年』12月号(「片々録」)に掲載されております。

 

<第2回大会研究発表要旨>

      (発表順)

英語史と語法研究:The New Fowler's Modern English Usage をめぐって

浦 田 和 幸(東京外国語大学)

 Henry Watson Fowler (1858-1933) のA Dictionary of Modern English Usage (1926)は、Sir Ernest Arthur Gowers (1880-1966) による小改訂 (1965) を経て、長らくイギリスの権威ある語法指南書として親しまれてきた。Robert William Burchfield (1923- ) による今回の版 The New Fowler's Modern English Usage (1996) は従来の「ファウラー色」を一掃した大改訂であり、初版当時からの語法の変遷や言語観の移り変わりに関わる記述が随所に見られる。OED の Supplement の編集主幹を務め、かつ中世英語研究者でもある Burchfield の経歴から予想されるように、豊富なデータと史的パースペクティブが今回の版の大きな特徴であり、語法の現状と歴史が客観的に描かれている。過去の Fowler's とは違った意味で、 Burchfield の MEU も新しい時代の権威になるのではないかと思われる。本発表では、主に本書から具体例を取り上げて、語法の諸問題(文法・語の使い分け・語義・綴り・発音)について、「揺れ」と「変化」という観点から考察した。

 

'seem (to be) NP' 構文における 'to be' 出没の歴史

許 斐 慧 二(九州工業大学)

 本発表では、'seem (to be) NP' 構文における 'to be' の出没の実態を幾つかの電子化された言語資料を使って調査した結果を以下のとおり報告した。

1. 1961年時の英米語の書き言葉の資料であるBrownコーパスとLOBコーパスでは、ともに 'to be' を伴わない型の方がこれを伴う型よりも出現頻度が高い。特に注目されるのは、一般に 'to be' を伴わない型はアメリカ英語では許容されないという通説に反して、アメリカ英語のBrownコーパスの方がイギリス英語のLOBコーパスよりもこの型の出現頻度が高いことである。一方、主として1990年代の言語資料を集めた筆者自身の現代英米語のコーパスでは、アメリカ英語において、僅かながら 'to be' を伴う型の方がこれを伴わない型より用例数が多くなっている。

2. 歴史的にはどうなっているかを、OED2-CD 及び種々の電子テキストで調べてみると、16世紀以降に関しては、英米を問わず 'to be' を伴わない型の方が有力であり、'to be' を伴う型はむしろ20世紀に入って急増している。

3. 20世紀初頭以前の英語では、現代英語では殆ど見かけることのない 'seem Ving' の形式が数多く出現しており、 seemは元々be動詞と同等の形式ではなかったかと推測される。

4. では、なぜ 'to be' を伴う型の使用が今世紀になって増えてきたのか、その理由は目下のところ不明である。seemが名詞句をとる場合だけでなく、他の文法範疇の句をとる場合についても、詳しく調べてみる必要がある。

 

St. Patrick's Purgatoryにおける異界要素について

壬 生 正 博(福井高専)

 Robert Eastingの近年の著作Visions of the Other World in Middle English(Cambridge: D.S.Brewer, 1997) は、7作品の夢文学 (vision literature) を扱った異界研究文献書誌である。この内、St Patrick's Purgatoryに関連するテクストは、同じくEasting編纂によるEETS 298 (Oxford: Oxford UP, 1991) が既に出版されている。このEETS版には、12世紀後半に広まった騎士Oweinに関する物語が4編ほど納められているが、この中から14世紀初頭の翻訳といわれるAuchinleck Versionをとりあげた。

 発表は、上記作品のパラダイス描写に焦点を絞り、Earthly ParadiseとHeavenly Paradiseの区分を示し、更にその構成要素を内部状態、門、宝石類、樹木、河などに分類・提示した後、その中で特に使用頻度の高い 'ioie(s)'「至福」の異界的特質について考察を試みた。上記語彙の考察にあたり、OED ('joy'-2) の語義に拠って 'ioie(s)' の語義範囲を検討しつつ、OEDの語意には言及されていない永劫性という異界的特徴をもつ点を指摘した。

 

19世紀アメリカ英語における 'A long letter was sent him' 型構文

野 仲 響 子(九州情報大学)

 'give'や 'send' のように直接目的語、間接目的語の2つの目的語をとる、いわゆる授与動詞には次に示すように、3つの受け身文が考えられる。

  (a) He was sent a long letter.

  (b) A long letter was sent to him.

  (c) A long letter was sent him.

このうち、(c) 型構文に関しては、これをアメリカ英語の特徴とする意見 (Zandvoort 1957) と、逆にアメリカ英語では不自然とする意見 (Quirk et al. 1985) がある。本発表においては、19世紀から20世紀初頭のアメリカ英語資料を調査し、現代英語の用例と比較しながら、歴史的にはどちらの意見が言語の実態に近いのかを明らかにしようとした。

 19世紀から20世紀初頭のアメリカ英語のテキスト21点を調べた結果、全用例139例のうち、前置詞 to を伴う (b) 型構文は 86例、toを伴わない (c) 型構文は53例であった。多くの文法書で (b) 型より「望ましくない」とされている割には、(c) 型が多く用いられている。さらに、(c) 型では保留目的語が代名詞である場合が9割を越え、主に代名詞用の構文という側面を持つこともわかった。ところが、現代英語のテキストでは、to のない形式を取りやすい代名詞の用例が含まれているにもかかわらず、(c) 型の例が一例もみられなかった。

 上記Zandvoortの文法書の初版が1957年であり、Quirk et al. が1985年であることを考え合わせると、どちらの見解も、出版当時のアメリカ英語の傾向を述べたために、(c) 型構文についての記述が逆になってしまった可能性が高いと思われる。現代英語の用例が少ないのでさらに調査を重ねる必要があるが、この数十年で、(c) 型構文の置かれた状況に変化が生じたのではないか。この構文の文法性に対する認識に変化が生じたのかもしれないし、また、殆ど代名詞としか用いられないという特殊な性質のため、間接目的語を主語にする(a)型構文の勢いに、(b) 型よりも、遙かに大きな影響を受けたのかもしれない。

 

英語における仏語借用語の現代仏語への回帰について-ビジネス英語を中心に-

飯 田 一 郎(西南女学院短期大学)

 現代フランス語に借用された英語には、本来フランス語語源の英語が里帰りしたものが見られる。中英語期に、フランス語から英語に借用されたフランス語がアングロ・サクソン文化の洗礼を受けた後にフランス語に再移入されたのである。これら現代仏語に回帰したフランス語語源英語借用語の実例をフランスの新聞、雑誌から収集して、通時的に調査、分析した結果、次の特徴が明らかになった。

1. フランスが今世紀、国際的に遅れた産業、経済、経営分野で発生した新概念を反映する意味を担ったフランス語語源英語をフランス語に再移入している。(例えば、consultant, management)

2. 英語の語形をそのままとり入れたもの(例えば、ticket)と英語の語形を取り入れた後で母語適用形を新たにつくりだしたもの(例えば、merchandising→merchandisage)がある。特に -ing 形にその例が顕著である。

3. 再移入語の名詞のもつ意味をフランス語動詞へ意味派生させている。(例えば、parking(駐車)→ se parquer (v.)(駐車する))

4. 名詞の性はフランス語本来の性を保つものもあるが、英語の語形 (-ing) や音韻に強い影響を受けた再移入語は男性名詞扱いとなっている。(例えば、tiquette [女性名詞]−ticket [男性名詞])

 

<会 員 消 息>

大野次征(宇部高専) 日本英文学会九州支部第52回大会(1999年10月30日、於大分大学)にて『後期古英語の再帰代名詞』を発表。

隈元貞広(熊本大) 本年8月、 The Rhyme Structure of 'The Romaunt of the Rose'-A: In Comparison with its French Original 'Le Roman de la Rose' を開文社より出版。

下笠徳次(山口県立大) 11月13日(土)−14日(日)、山口県婦人教育文化会館(山口市)で開催された日本ルイス・キャロル協会第5回研究大会において、開催準備委員長および研究発表の司会を務めた。

田島松二(九州大) 昨秋刊行した『わが国における英語学研究文献書誌1900-1996』(南雲堂)により、本年10月、雄松堂主催、日本図書館協会協賛の第2回ゲスナー賞銀賞を受賞。

 

<新 入 会 員>

 1999年6月1日以降の新入会員の方々(五十音順)は次の通りです。

笠井勝子(文教大学女子短期大学部)

鎌田幸雄(仙台大学)

砂澤健治(仙台白百合短期大学)

添田 裕(福岡大学)

西出公之(都留文科大学)

水鳥喜喬(大手前大学)

村田和穂(有明工業高等専門学校)

安田 淳(流通経済大学)

  

<事務局からのお知らせ>

 

 第3回大会を2000年(平成12年)3月25日(土)に予定しています。会場は第2回と同じ、福岡市中央区六本松の九大六本松キャンパスです。研究発表ご希望の方は発表要旨(400字程度)を添えて、2月15日(火)までに、事務局までお申し込み下さい。 連絡先(住所)・所属等の変更、新入会員の推薦・紹介等についても随時事務局までお知らせ下さい。

 

 

<編 集 後 記>

 

 会報第2号をお届けします。今号には20世紀後半のわが国の英語学・英語史研究を名実ともにリードしてこられた東京都立大学名誉教授・昭和女子大学教授の小野茂先生に特別にご寄稿いただきました。心からお礼を申し上げたいと思います。以前はご著書・論文を通じてのみでしたが、近年は直接謦咳に接することも叶うようになり、文字通り長きにわたってご指導いただいている者のひとりとして、英語史研究、フィロロジー研究の灯を絶やすことがないよう微力を尽くしたいと思っております。

 1号は会員以外にも数人の方々へ送付しました。その中のおひとり神戸松蔭女学院大学の三浦常司教授(兵庫教育大学名誉教授)からは「訓古の学に基づいた実証的、歴史的研究は今後も廃れさせてはならないと思います」とのお便りを頂戴しました。心したいと思います。

 このところ大学を取りまく状況は一段と厳しいものになり、世の中同様世知辛くなってまいりました。研究・教育以外の仕事もやたら増えたような気がします。何はなくとも「愉しみは学問(英語史研究!)」と言えるよう研鑽を積みたいものです。 アメリカ文学者の井上謙治氏が『英語青年』9月号コラム欄で「作家研究では、些細な情報が役に立つこともあり、Notes and Queries という先例もあることだし、学会誌もtriviaに紙面を割いてはどうかという気もする」と述べておられます。このことは、作家研究に限らず、英語史研究にもあてはまるのではないでしょうか。どんな些細な情報でも結構です。研究ノート、随想、書評、はがき通信、その他、お気軽に原稿をお寄せ下さい。次号第3号は2000年6月発行予定です。

 今号は来春博士課程修了予定の末松信子会員の全面的な協力を得て編集作業・版下作成を行いました。土壇場で許斐慧二会員も校正に参加。両会員に多謝。

(1999年12月5日 田島松二記)